日本のいちばん長い日2

さっきに続いて、書き足りないことを補足してみる(´・ω・`)


この手の問題になると、必ず「近隣諸国への謝罪なくして真の融和などありえない」などと主張する一味が存在する。

この手の人達は、「融和」に対して至高の価値をおいているようだが、まったくナンセンスとしか思えないのは私だけであろうか。
もっとも重要なのは、「国益の増進」である。

国益がなんであるか、については百家騒乱であるから定義付けは難しいのだが、日本の国際的プレゼンスを貶めることが「国益」でないことは明らかであろう。
彼らの言う「融和」とは手段であって目的であってはならない。「国益を増進する」目的を達成するために「融和」するのであり、場合によっては条約定められた事項以外の「謝罪」があるのである。

日本と朝鮮及び中国とは戦後処理において条約を既に結んでいるから、敗戦国としての責任は終了している。
国益にもならな「謝罪」なぞ全くもって行う必要がない。「謝罪」を行って然るべき相手とは、それを受け入れる土壌が既に存在している国家に対してだけである。

たとえば、この前三菱が元アメリカ人捕虜に対して「戦時中の不適当な取り扱い」に対して謝罪を行ったが、これはあるべき謝罪の姿である。「謝罪」を行うことによって、最も強固な同盟を築くべきアメリカの国民へ対するアピールとなるからだ。
また、近年アメリカでも、戦時下で行われた不適当な「日系人捕虜収容」に対して反省しようとの世論が高まりつつあると聞くが、これだって、その事実で持って国際的に口撃してくることのない日本に対してだからこそ起こる動きであろう。
これが「中国人捕虜収容」とか「ソ連人捕虜収容所」であったならば、反省の機運など現れてはこないだろう。反省したところでアメリカ国益を損なうこと請け合いだからである。

このように考えれば、『安倍談話の「反省」や「謝罪」の主語が見えない、具体的な反省の内容もわからない、のはけしからん』という某東大名誉教授やら村山元首相の言説が如何におろかしいかわかるだろう。
国益増進に資さない「反省」や「謝罪」など行う必要がないのだから、日本政府はこれまでどおり先の大戦を反省してますよ」とだけさらっと言及するのが正しいのある。
国益増進に資する「反省」や「謝罪」は、また別の施策を通して行っていけばいい。

また、別の言説として、「どちらも帝国主義的戦争であるにも関わらず、第二次世界大戦までの戦争を美化している一方で第二次世界大戦については反省しているなど、文章として矛盾している」がある。
これも私から言えば当然である。第二次世界大戦までの連戦連勝の体外戦争は日本の国益を増進してきたのだから、輝かしい勝利の歴史にほかならない。これを「帝国主義」であったと貶める必要がどこにあろうか。
第二次世界大戦は敗戦したという点で、国内の非合理な戦争決定プロセスについて反省すべきであろうが、体外的に反省する理由はひとつしかない。それは「客観的に間違った戦争だった」などという愚かしい理由であってはならない。間違いか間違いでないかなど、歴史の見方によってどうとでもかわるからである。

理由はひとつ「体外的に反省を行っている」ことをアピールすることことが、「日本の国際的地位での地位」貢献に役立つからである。
これを履き違える時、国益にまったくつながらない「謝罪」を行うという村山談話のような奇妙な施策が行われてしまうのである。
私はそう思うのである(´・ω・`)
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