日本のいちばん長い日

昨日8月15日に、邦画「日本のいちばん長い日」を観に行った。

今日になって思うのだが、やはりこの映画を8月15日に観てよかったと思う。

先の大戦争とはどのようなものだったのか、それを考えるにあたり、
「終戦」という決断がなされた一週間に何が起きていたのかを描いた本作品を観たことは、別の日に映画を観るよりも思考を巡らす動機として一層意味有るものだったと感じている。

まぁ、映画を観たことは観たこととして、久しぶりに書くブログでは、8月14日夕刻に発表されたいわゆる「安倍談話」について、
宮仕えをしている者として、徒然なるままに少し書いてみたいと思ふ。


その時々の政権が、8月15日前後(普通は前?)に発表する「〇〇談話」は、これまでも内外の勢力から非常なる指摘・批判等にさらされてきた。その中で最も有りきたりな批判とは、戦後50年目に発表された「村山談話」を継承するかどうか、である。

村山談話の中で最も論争を巻き起こしている箇所は以下であろう。
わが国は、遠くない過去の一時期、国策を誤り、戦争への道を歩んで国民を存亡の危機に陥れ、植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました。私は、未来に誤ち無からしめんとするが故に、疑うべくもないこの歴史の事実を謙虚に受け止め、ここにあらためて痛切な反省の意を表し、心からのお詫びの気持ちを表明いたします

特亜三国、特に中国と韓国は、村山談話が発表されてきた20年前から、国際世論戦においてこの点を特に強調し、何かにつけて「村山談話で謳われた正しい歴史認識を現政権は行っていない』として、反日世論の形成に躍起になってきた。
自国の考えと一致しなければ、すぐさま村山談話を持ち出し、自分の戦後70年間の侵略行為を棚にあげ、日本国内の国内左翼勢力(断じて進歩的勢力ではなく)を煽りてて、日本を自縄自縛の負のスパイラルへ貶めようとしてきたのである。そして、それは一定以上の成果を収めてきた。

村山談話やそれに続く河野談話は、この20年間で最も日本の国益を貶めた最悪の施策の一つであろう。戦前の満洲事変への追認に匹敵する戦後最悪の一手とも言っていい。
さらに悪いことに、村山元総理は、未だにこの談話を継承するよう、日本国内のメディアどころか、中国や韓国に行ってまで「村山談話」の正統性を喧伝している。度し難い愚か者である。

まぁ、いいや。

ここで考えてみたいことは、このような日本の国益を20年も損じてきた談話をこの先も永劫引き継ぐのは果たして正しいものなのか、である。
断じて否であることを、このブログでは主張する。

そもそもなんの為に「談話」は出されるのだろうか。
全ての施策は日本国益増進の為になされるものであって、それ以外にはありえないし、あってはならない。
他国への援助だろうと、何かしらの外交上の譲歩、もろもろの国内施策、軍事的行為(日本は憲法9条で侵攻を禁じているが。)に至るまで、行政が行う全ての施策が国益増進を志向している。
国民には理解しがたい、未だに続く中国へのODAやら、留学生への手厚い援助であっても、その根底にあるのは国益増進のためである。その施策が国益増進に叶うと考えるからこそ(国民に理解されなくとも)、国会はその予算執行等に同意し、行政が行われるのである。

そう考えれば、「談話」ですら、国益増進のためになされなくてはならない。ましてや国益を損ねることがあってはならない。
村山談話話は、そこを決定的に違えていることに重大な問題がある。

これが、その後の特亜三国との融和に繋がったならば、意味があったのであろうが、発表から20年を経て、まったく融和につながらなかったことを考え見れば、「村山談話」が失敗であったことは火を見るより明らかであろう。

昨今急務であったのは、この国益を損じまくっている「村山談話」を如何に早急に無力化して、なおかつ西欧諸国及び東南アジアからの支持を継続するか、ということであった。

しかしながら、人治国家である特亜三国ならいざ知らず、まっとうな法治国家である日本では、以前の談話との閣議決定との整合性が問題になってくるから、続く政権において「村山談話」を破棄しますよー、とは出来ないのである。ネット右翼がすぐ批判するが、村山談話の即時破棄は不可能なのだ。
あくまで微修正を続けることによって村山談話の効果を限りなく薄めるしか方法はないが、そこが中々に難しい。

日本で戦後唯一と言っていい政権担当能力を有した自民党はこれに苦慮してきた。
そこは割愛するとして、今年8月14日に発表された「安倍談話」は、今までの政権で出来なかった村山談話を限りなく、とまでは行かないかもしれないが、かなり薄めた点で非常に評価できると考えている。

安倍談話では、西洋列強が世界中を植民地支配しようとしていた過去から、第二次世界大戦の流れを「歴史」として扱うことで、村山談話以降行ってきた不要の日本の行為責任を回避しつつも(本来敗戦国家が行うのは戦後条約において記載されている条項による賠償等であって、で、それが終わったのならば、続けての謝罪等は全く不要であろう。)、村山談話でも入っていた「植民地支配」「謝罪」等の左翼勢力の餌食になる言葉を「お詫びの気持ちを表明してきた」とすることで、今後の「謝罪」及び「お詫び」についての特亜三国からの強要を封じたのである。

反省やお詫びを「表明した」村山談話では、その後に特亜三国から「表明した」にも関わらず実行されていない(新しい実行はゼロである!)と散々に批判され、世界世論への口撃に無防備になってしまった。
それに対して「表明してきた」のであれば、過去に行っているアジア女性基金やらODAやらを挙げることができるから、反省やお詫びが十分行っている!と主張することができる。さらには、「私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪し続ける宿命を背負わせてはなりません。」ともいうことで、特亜三国への牽制も行っている。

「反省」「謝罪」など、特亜三国が敏感になるワードをいれこみつつも、日本の責任を回避し、国際世論からも評価を受けつつ、今後の謝罪については行わない道筋をつけた、この安倍談話は非常に巧妙に考えこまれた絶妙の談話であるといえるだろ

これに対して、各国内左翼メディアは村山談話を継承してはいないなどと批判をしたが、国際社会に目を向ければ西欧諸国からは良好な反応を得ているし、中国韓国からも厳しい批判は出ていない。
それもそのはず、「反省」「謝罪」「植民地支配」等のワードが入れ込まれており、未来志向で行く、という言説には批判しようとしても出来ないからである。上記のワードが入れ込まれていないならば、「日本は反省していない軍国主義だ!」とも世界世論を焚きつけることもできるが、ワードが全て入れこまれていたのであれば、何かを焚きつけようとしても、逆に反感を買ってしまうからである。

この20年間なにかにつけて国益を損ない続けてきた村山談話の効果を最大限に薄め、なおかつ西欧諸国からの一定の評価をうけた今回の安倍談話は、最近の日本外交史上最大の勝利と言っても過言ではないと思う。

この点で、私は今回の安倍談話について極めて高い評価をいたしたいと思ふのである。

久しぶりに徒然書いてみるてすと(´・ω・`)
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